詩仙堂(しせんどう)は、京都市左京区にある史跡。現在は曹洞宗永平寺派の寺でもあり丈山寺という。
詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘である。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による。
詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている。
造営は寛永18年(1641年)丈山59才の時に行われ90才で没するまでここで詩歌三昧の生活を送った。
詩仙堂は正確には凹凸窠(おうとつか)という。凹凸かとはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている。
詩仙堂の詳細